社会人大学生ブログ〜シニアで大学4年生ですが。

シニア/フルタイム/ワーキングマザー/ 私立中高一貫校への子供たちの中学受験を経て学びたい気持ちから大学3年生に編入。通信制で学ぶ大人の大学生ママのマイペースなブログ。

復習アゲイン

ということで、しばらくほったらかしておいたテキストをまた引っ張り出した。その時は頭にうっすらと入っていたことが…全然忘れちゃってるやん。けど、課題をしっかり見据えて、2度目を復習しながら読み解いてみると、それなりに理解が深まってきている!!おっ!これぞ学びではないか?と自分を励まし。レポートに取り組み始めたぞ。この連休に課題をこなそうと考えていたのに、今日も仕事をたっぷり頑張った。予定が1日減ってしまったよ〜我が家の子たちの学校は土曜日もあるから、基本的にお母さんとしての役割もお休みは日曜日しかない。そして学園祭のこの時期には、その土日も学校だ!!子たちは振替休日あるけど…私は違うから、もうずっと連勤だったから、明日はやっとやっとの朝寝坊をできる日曜日がうれしい!朝だけそっとしておいてほしい。目覚ましをかけない朝にするんだから。低血圧の私は朝が本当に苦手なので、実は毎朝相当頑張って起きている(目覚ましアラームを4つ仕込んで時間差にしたり)。あぁ朝寝坊くらいでこんなに喜べてしまう自分、大丈夫かい??私は何と戦っているのだろうか?いや、戦ってなんかはいないのだけど、それでも「何か」が私を引っ張ってくれているのは感じているから。だから小さな1歩でも重ねていくのだ!と。まだまだ足踏み状態の私だけれど、今しっかりと「大学三年生な私」を楽しんでみていこうとも考えている。学割で映画でも観に行こうかな。カラオケやボーリングで使えるところもあるらしい?!それをするなら大学生仲間を募らなきゃ?まさかこの年齢で大学生になる予定ではなかったから(そりゃそうだ)、まだ色々と自分の中でも折り合いが取れていない部分もあったりしてる。けれど、それらもぜーんぶ含めて自分の選択なのだから、もう進むしかない🎵

 

 

 

学生証

今更に学生証を受け取った。なぜに今更か?はさておき…これでやっと実感が湧いてきたような?何だかちょっと嬉しい。子供達にも見せてみたけど「だから?!なに??」的な微妙な反応。大人の学びのそれなりに大きな覚悟や決心は、まぁそりゃ分からないよね〜例えば私が中高生で、お母さんが「大学生になったのよ!」って学生証を見せられたとして…やはり「??」?!。と感じていただろうとも思う。多分自分が大人になってみないと「大人の学び」の重さというか厚みは感じにくいものだよね。でも私が子供たちに伝えたいことがあるとすれば、それは「その決心とか」自分軸のパッションではなくて、「大人になったって勉強する選択もできるんだよ!」「何歳になったって学びたいことがあったら学ぶ方法だってあるんだよ」進路は高校→大学→就職だけではないのだよ〜というような学びかたの幅や可能性なのです。ところで、ここ数日は風邪気味の私は、体調がいまいちで気をぬくと弱気と眠気にやられそうです。風邪クスリが効いて異常に眠いよ。ということで、まとまりない感じではあるけれど、朦朧とした意識の中でも、またふつふつと沸いてきた「頑張るぞ!お=!!」な気持ちがまたちゃんと首をもたげ始めているこの今を記ししるしておこうと書いている。なんだかんだと通信性は、やはり自分との戦い「やらなきゃ」と「疲れたーもう無理から」がひしめき合ってせめぎあって。振り切る気力がなきゃいかん。…と頭は理解しているのに、睡魔に勝てない悔しさなのだ。眠いよーー

 

 

 

9月1日

何かで気持ちを区切る時、私は日付に頼ってしまう。だから、新しい月が始まる1日は大好きだ。切り替えるチャンスが、少なくとも年に12回はやってくるのだ!何を切り替えたいのかと言えば…全く勉強の時間が取れていないこの状況。想像していたよりも、日々の仕事の忙しさは相変わらずで、子供たちのアレコレに振り回されて、あっという間にその日が終わり、1週間が過ぎて、1ヶ月が変わっていく。

だから、この時を待っていたのだ!もうここでチェンジしなくちゃヤバイ。同じように考えていても無理だから、もっと大きく変革の時だ。と自分を盛り上げてみる。けれど、金曜日の夜にはもはやクタクタだ。眠い。今日も残業頑張ったよ!明日も休日出勤せねばならぬ。この現実には、薄々気が付いていたけれど、気持ちで乗り切ろうと考えていた甘さもあったと自己反省。…と、心はザワザワしちゃうけれど「大丈夫!!」と何故か根拠のない自信だけがいつもあるから不思議だ。むしろこの勢いでいつも乗り切ってきたじゃぁないか!

ということで、今一度きちんと取り組むぞ。宣言してみた。

 

 

 

 

 

24時間テレビ2018

夏休みの終わる頃を感じさせるこの時期。始まった頃は、すっごいスペシャルな感じで、テレビが24時間やるなんて!!もう徹夜してみるぞ!とはりきっていた小学生の頃をふと、思い出します。地球が描かれた黄色いTシャツが眩しくて、近所の◯トーヨーカドー(ローカルね笑)へお小遣いの貯金箱をはりきって持っていったこともある。

それから随分の時を経て、何となく24時間という枠は、今となってはさほど驚きを感じさせない。まして全部見るぞ!と気合いも少なくなってきた印象もある。なぜだろう?娯楽の中心がテレビくらいしかなかった昭和の頃は、テレビの時間に生活を合わせていたよね?◯時から始まる番組をか見たいから、その前にお風呂に入ってスタンバる、みたいに。そしてビデオで録画できるようになると、少しは自分都合になってきた。それが平成30年にもなると、みんなテレビにかじりついて見たりはしなくなったなぁ。たまたま付けてちょっと見るけど、中継的な結果はすぐにwebニュースで上がってくるし。で、何が言いたいかといえば、それでも全体での取り組みは大きくは変わっていないようなところは、すごいなぁ!と感じる。この取り組みで今回の募金が2億を超えているらしい。小さな積み重ねがこうして大きくそれぞれに展開していけく仕組みがずっと続けてこれていることに感心する。

それでは自分には何ができるのだろうか?直接的にできることもあるけれど、私は私ができるやり方で、小さくても結果につながれればいいな。と思う。自分がやるべきことをしっかりと。そのためにも自分の目標にちゃんと向きああわなければいけないな。と焦る気持ちでいっぱいにもなったりする。テレビで超ワクワクできた小学生だったあの頃に、もうスッカリ大人になった私が、まだこうして大学生だったりする?!そんな未来は想像もしていなかったけれど、子供たちとそれぞれにこうして勉強に向かうことができる環境にいることに感謝をしたい。だから、やるぞ!やるぞ!やるぞー!みやぞん、お疲れさま&ありがとう!!

 

変化

時々、すごく勘が冴えていて決断をすることがある。勘には理由など無くて、迷いも無い。その勢いで動くときには、全体もスルリと進んでいくから不思議。と言うか、そもそも「そうなるべき」してそうなのかもしれない。思いばかりが強くても空回りして進めない時だってあるし。その時は、「これでいいのか?」と分からないけれど、それでも変化する時は、そっちへ移る瞬間なのだろうな。前にも少し書いたかもだけれど、頭の中で難しく面倒臭く考え過ぎると、余計にややこしくなることも少なくなくて…えいやっ!って動いちゃう方が、いっそシンプルなのだ。枝から枝へと動物が動く時、頭でばかり考えないで、瞬時に本能が選ぶんだと思う。野性的な勘を鈍らせないように、時々静かに整えている。

ありがとう!高校野球から思う人生の位置

今年の夏は特に暑かった。猛暑の銀座を歩いていたら、地面からは熱気と湿気とがモワッと立ち上り、高級ショップからは効きすぎた空調の冷気が逃げ出し、それらが交差する…もう体感温度の調整もどうしたらいいのだろう?と頭がクラクラとした程だった。

さて、夏休みといえば、熱闘甲子園!!すごく詳しく観ている訳ではないけれど、球児たちの真剣勝負には、いつだって何歳だって、心が動かされてしまうものだ。

高校野球が気になりだしたのは、小学生くらいだったかな?あの頃の、高校生のお兄さんたちがとても大人に見えた。だから自分が「子供」なのだ。と、私の中では高校野球の彼らが、その時々で自分の立ち位置を教えてくれていうたようだ。

彼らに近づいた年頃には、逆にあまり観たくなかった。本気で戦う彼らが眩しすぎたのだろう。自分はあんなに何かに打ち込めているだろうか?そんな問いかけに自問自答してしまう思春期だったのだろう。

同じ年になる頃には、ちょっと打ち消したいようなイジワルな自分も芽生える。何であんなにムキになっちゃって?!相手を認めないことで、自分を正当化させたかったのだろうな。そうこうしている間に、学生時代のような長い夏休みがなくなった社会人になると、気にしている暇がない。だって、彼ら戦いを知りうる手段は夜のニュースの結果報告くらいになってしまうからね。ニュースではダイジェストだから、やはりライブ感が薄まり、あの「熱気」はちょっと違うんだよね。

長い夏休みのない大人たちには、いつからか「遠くて眩しい青春時代」のような光景になってしまっていった。そんな夏が繰り返し繰り返し。母になると、子供の成長に今度また、「高校生のお兄さん」たちが重なりだした。大人の自分から見れば若い彼らも、小さな子供が重なると、立派な青年とまた感じるのだよね。そして、彼らを育てたお母さんの気持ちも混じり出したり…。もつかの間に、上の子と下の子の中学受験期には夏休みは夏期講習の日々だったから、高校野球を気にかけてもいられない数年がブワッと過ぎ去ってきていた。

そして、息子が高校生になった今。活躍している彼らがまたまた「とんでもなく眩しい」息子と同じだけの時間を経て成長してきた同年代!!と勝手に彼らの成長レイヤーをすごくすごく思ってしまうのだ。同時にそれらの月日を成長を支えてきた、お母さん・お父さん、周りの人たち。あんなにまっすぐに打ち込む彼らを、環境をパッションを、それらの背景を丸ごと素晴らしい!と、強く感じてしまう。と言っても、長い夏休みがなくなってしまった今の私が高校野球を感じる手段は、細切れのニュースとかなのだけど、たとえそれが一場面だけでも、感度が高まってしまっているせいで、いちいち心が大きくふれてしまったりもする。もう、webニュースの見出しの文字だけでも、その内容や心情を思ってしまい、涙が溢れそうになったりもする。えっ?涙もろいのは年をとったせいだって?そうかもしれない。年が重なると、感情の奥行きも深くなるから、しょうがないよね。今年も頑張った高校野球のみなさま!本当にみなさんの、精一杯に打ち込む姿は、全国の多くの老若男女が応援していました!(このブログを高校野球児の方々が読む確立こそも低いだろうけれど、それでも伝えたい)あなたたちの輝きは、素晴らしい!!世代をつなげて、重ねて、伝えてくれて「ありがとう」。と、勝手に声援を贈らせていただきました。同世代の一お母さんより。

…と、長文書いてるなら、レポート書かなきゃなのに…イマイチ進んでいないダメママ大学生は、子供たちに「勉強しなさいっ!」とかって、最近はあまり言わない(言えない)。そっち側?!学生マインドも、何だか都合よくジワジワっとぶり返して感情を揺さぶられてしまうのだ。あぁ

 

あと少し

今取り組んできていた、プライベートなプロジェクトがもう少しでスッキリしそうだ!前から感じていた違和感を直感とタイミングで乗り換える。何だろうね?この時のつながりの良さ。ってハンパない程にスムーズになのだ。どうやっても上手くいかない!と正反対なほどに、無理しなくてもなめらかにコトが進む。もうね、そんな時はそうなんだよ。あぁ!もう一つとても大きな願望のプロジェクトがあるんだ。これだってとにかく最初の一歩を始めなければ、進まないのよね。それが例えば小さな確率でも、「0」じゃあないからね。けれど、始めなきゃ「0」なのダ!うん、決めたよ。まず、コレがまとまったら、こっちを再度取り組んでいこうよ。ただいま自分の中の優先順位を整理中〜!!